2010/01/23

2007/6/30 父転院

2007/6/30
急性期療養は3箇月間限度、医療制度改革で転院を余儀なくされた。

3/29に入院した父の受け入れ先を実家近くで探したが、脳や内臓に障害なく宇宙飛行士の如く筋肉が落ちて物理的に寝た切りになった患者を受け容れてくれる病院がなかなか見つからなかったので、見舞いは大変だが青梅の某病院にお世話になることになった。

寝台タクシーを手配してルートを指示し、先に出発して貰って会計を済ませ、GS-Aで後を追った。
環七永福から首都高、中央道の途中で追い付き、手を振ると父は笑って応えた。
圏央道を経て病院へ。

「治ったら後ろに乗せてツーリングに行く」と約束したが、残念ながら果たせなかった。
翌年3月まで、自宅から外環・関越・圏央道で病院へ、圏央道・中央道・首都高で帰宅、というルートを毎週走ることになる。
父の気分が良くて、こちらも多少気持ちが軽くなった日は、青梅から奥多摩・甲府・河口湖・山中湖・相模湖を廻って帰ることもあった。
只管見舞いでは気が滅入ると言い訳をして。

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