2010/10/24

2010/10/06退院自宅療養 10/23免許証が出張から帰って来るまで

2010/10/06
退院、驚く程早かった。
重い荷物を部屋に引き摺り揚げて家主に無事戻ったと挨拶して疲れ切って飯も喰わずにひと眠り。
食べ物に困ってるんじゃないかって大家さんが何と握り飯と漬物を持って来て下さった。
孫娘も一緒。
住み始めた頃はこの子のピンポンダッシュに悩まされたもんだがレディになったもんだわ。

2010/10/07
左臀部から遠位感覚異常
またまたTIA一過性脳虚血発作transient cerebral ischemic attack?
って思ったけれど後々痛風発作らしいことが…

2010/10/08
本格的に左脚が痛くなって来ました
痛風発作って足の拇趾の付け根が代表的ですけど小生の場合はこむら返りのような症状が出るらしいです。
周術期にザイロリックを処方して貰えなかったのと利尿剤で循環血液量が減って尿酸値が高騰したんで仕方ないですけど…。

2010/10/09
いよいよ左脚にこむら返りが来て痛風発作を疑う激痛。
ボルタレンサポ50が効くまで一過性に血圧192まで高く。
109までに抑えろ指導されていたので流石に僧帽弁が切れるんじゃないかと恐ろしくなり入院してた病棟に電話相談。
「傷みをコントロールして尚BP高ければ再電話」の指示。
またまたTIA!
眼球焦点調節障害で1m以内が見えなくなった。
記憶障害で10年近く住んでいる住所を間違えた。
経過観察で大丈夫だと解っていても怖いです。

2010/10/10
右頭頂葉に頭痛。またTIAが起こるんじゃないかとビクビクする。

2010/10/11
平穏無事。

2010/10/12
退院後初の外来受診。
原付なら90分で着くのに地下鉄延々。まず駅までの600m30分が遠い。
採血後MRI
胸骨を留めているステンレスワイヤーが誘導電流で焼けて熱い。
胸の中で火傷してるって何だか怖い。
昇圧対策で処方変更して戴いた。
本院会計後洋食店で昼食。
隣の医師がタバコを吸い始めてから呼吸急迫となり東病院に退避したが座位を保てなくなる。
神経内科外来にて「専門医の所見は未だ得ていないが脳血管は健常だし脳梗塞痕跡の高輝度部位は見当たらないので正にTIAでしょう。心臓血管外科で凝固線溶コントロールを受けて経過観察、神経内科としての追加処方は必要性を認めない。」との説明を受けた。
調剤薬局会計まで不調。
帰路拙宅最寄駅まで無事。
しかし駅コンビニでTIA二重視発現約30秒間。
今回は慌てず片目視で対処しました。
そこから拙宅まで20分間緩い坂を登り続けても昇圧せず。
運動負荷で昇圧する程脚力は弱っていないのが幸い、緊張や傷みが要注意。

2010/10/13
二度寝中♪♪♪7♪不整脈を感じて眼醒めた。
朝ラシックス服用して直ぐ多尿13:00までにペットボトル計測で約2500mL排尿。
口渇ないが排尿の度に100mL程度麦茶で補水し経過観察。
ふらついたので体重測定したら朝68.6kgが66.0まで減量。
脱水を懸念して病院に電話、利尿剤用量調節の許しを得ました。
普段なら自己判断で調整しますけど心臓術後はシビアですから。

夕服薬後沖縄料理店で座位を保てなくなりベンチに横になって脚挙上でBP62/35!
意識を保つのがやっとです。
一旦84/65まで上がって徒歩で帰宅、昏倒し掛けて途中アスファルト舗装の駐車場で臥位休憩。
人通りが無くて良かった。
帰宅して玄関で休憩、血圧上がらず。
ベッドに戻って上がらず流石に身の危険を感じて病院に電話。
「脱水とBetaBlockerとCalciumChannelBlocker相乗効果だろうから昇圧するまで降圧剤中止、朝の血圧次第でインデラルだけ再開、塩分を摂って昇圧しなければ救急車」などご指示を戴く。
主治医ご帰宅前に戴いたお電話時点で74/50
ラシックスは体に合わないらしい。
補水しても下痢して体重減少一途。
危険なダイエットに用いられる訳が良く解ります。

具合悪くて直ぐ息あがって楽器出す気にもならなかったけど1年ぶり?かでviolin出してNHK「てっぱん」のテーマ弾いてみました。
葉加瀬太郎ってやっぱり凄い。
楽譜無くても弾けちゃう位に単純な運指でこんなに美しいメロディ出来ちゃうなんて天才。

2010/10/14
主治医からお電話「心臓は大丈夫、水が抜けただけ、神経質にならないで」って切って戴いた心臓には全く不安ない。
むしろ尿酸が弁に析出したり痛みで昇圧して壊すことが不安。
4~30拍に1拍脈が跳ぶようになった。
利尿剤を止めたら乏尿に。
1日尿量500mLでも血圧は低いが体液貯留して不調なのかも知れないと考えラシックス1T・スローケー1Tを服用。

2010/10/15
昨日悩ましい程排尿したのにラシックス服用後1時間経過しても尿意が無い。
脈の跳び方が♪♪♪7♪で完全に1拍休むので恐らく心室性期外収縮。
10/04_01:00頃相部屋さんの体温計が大音量のアラームを発して目醒め胸が痛くなって「心電図は教科書的に綺麗ですよ」そんな筈ないって見せて戴いたらR-R間隔不均等で上室性期外収縮起こしていたと思われるけれど、あの時のような胸痛は無く、ただ脈が跳ぶ感覚だけ。
短期間で跳ぶと貧血起こしそうになる。
某日12誘導ECGで担当医が「陰性T波出てる」と言われたのがこれか?
今までBetaBlockerで抑えられていたと考えてインデラルを1T服用した。
ラシックス服用後6時間で初の排尿。
抗利尿ホルモンのバソプレッシンがループ利尿剤よりも優位だったらしい。
脈の跳びは40~80拍に1拍まで頻度低下。
全身寝汗と口渇と尿意で目醒めた。

脈の跳びが気付かない程の低頻度に。
インデラル服用後11時間経て効果が持続しているのかループ利尿剤が効いたのか解らない。
心嚢液貯留によるタンポナーデ一歩手前だったのなら怖い。
尿量維持のためループ利尿剤は再開すべき。
また主治医の失笑を買うだろうが本当に微妙なバランスで生かされている気がする。
沖縄料理店で昼食、銀行に寄って帰宅。
脈の跳びが10~30拍に1拍まで高頻度に。
脈拍数を抑えるためにインデラル1Tを服用。
インデラルで脈拍数を抑えると脈の跳びは気付かない程に低頻度になる。
右肩の亜脱臼痕に激痛。
上腕骨上窩炎と小指第2関節の痛みで腕の置き所が無くなる。
ICUで何が起きていたのか。
鎮痛剤は使わずツボ推しで痛覚を麻痺させる。
NHK教育で放映された「サイトウキネン」の「幻想」が鎮静剤になりました。

2010/10/16
BetaBはインデラルからメインテート錠2.5に戻す。
ラシックス1/2T試してみる。
遮光品なのに割線が入っていて俎とぺティナイフで綺麗に真っ二つ。
1T服用時のように尿崩症かと思うような多尿の感はない。
 
2010/10/18
寝汗で減量。
巨大な高輝度飛蚊視TIA疑い。
緊張すると昇圧するので冷静に経過観察。
意識喪失しかける。
SBP104有るのに62まで下がった時と同様の眩暈。
どこか脳の大血管が狭窄したのでなければ良いけれど…。
耐え難い右肩の痛み。
心拍数は増多したが血圧は呼吸を細く浅くすることで抑えられた模様。
自己整復に失敗した亜脱臼は始末に悪い。
洗濯物を干そうとして卒倒しそうになる。
直後臥位でDBP49。
急激に激痛が走ると昇圧、緩徐に強烈な痛みが来ると降圧してしまうらしいです。
 
2010/10/23
30日間の出張を終えて免許証が帰って来ました。
でもバイクに乗れません。
路面のギャップで突然死が有り得るのであと2箇月間は我慢です。
胸骨がズレる激痛に悩まされずに咳が出来るようになりました。
それでも未だスクーターのセンタースタンドを降ろす自信がありません。
毎日平穏無事とはいかないものの、こりゃ矢場イってのは暫く無いのが幸いです。

2010/10/24
なんて夜更かししてブログ書いてたらまたまたTIA焦点調節障害。
眼球運動神経を栄養している血管が詰まり易いらしい。
20秒程で症状消失ホッとする。

2010/10/13

2010/9/21免許証を預け、9/22に入院し10/06に退院するまで

2010/9/21
免許証をお上に預けて来ました。
普通なら朝から晩まで講習を受けて29日間短縮を狙って受験、その日だけのお咎めにしたい処ですが、バイクで僅か600kmで音を上げる程に心臓が弱っているのに長時間の座学に耐えられる筈もなく、夕方には執刀医師の術前説明、晩にはLargoTouringTeamによる激励会も予定されており、年内バイク禁止令も出ていたので30日間お預けすることにしました。

池袋でMP3プレーヤーを購入、東京メトロ有楽町線で麹町駅を目指します。
半蔵門循環器クリニックで採血と心エコー検査。「ほぼ間違いなく弁置換せずに形成術で治る筈。」の心強い執刀医師の言葉に「開けて診てダメだったら豚の弁入れて下さいね。」10年しかもたないかも知れない生体弁に置換されてでも機械弁を入れてワーファリンのみ続けて転倒出血死の恐怖に脅えながらバイク乗るなんてことはしたくありません。「わがままでしょうか?」に優しく「万一豚になっても10年後にその時最高の弁に再置換すればそれはそれで医学的にも正しい選択だと思いますよ」と安心させて下さいました。やっぱり経験豊富な医師はメンタルケアも万全ですわ。

四ツ谷のイタリアンダイニング ラルゴまで歩いて行くには未だ早かったので麹町から銀座一丁目へ。
銀座伊東屋に遠廻りして来年の手帳を買いました。
これも願掛け。
東京メトロ丸の内線で銀座から四ツ谷へ。
帰宅ラッシュ時は赤坂見附からドッと乗って来るので僅かひと駅ですが術後は絶対避けなければならないルートです。

ラルゴに着くと既にKさまMさまがお待ちでした。
オーナーの愛娘Mちゃん登場。
いつもはパパのパッセンジャーシートでコーナーリングでパパの更にインを衝いてる凄い娘です。
パパの店に来ることは有っても大概ママ同伴、今回独りで地下鉄乗り継いで来てくれました。
感染源になるからって子供の見舞いを禁じてる病院があるので気遣って入院前夜に気合入れに来てくれたという訳です。
テンション上がります。
お子様時間がお開きになって駅まで見送りました。
改札でバイバイも悪いんでホームまで降りるのに入場券買おうとしたら駅務員さんがゲート開けて通してくれました。
なんてぇ気遣いでしょう。
帝都高速度交通営団から42年間地下鉄乗ってますが最高の気配り戴きましたぁ。
旨いもの沢山食べて、久々にワイン呑んで、いつキープしたか忘れたウィスキーボトル空けて、バイク談義に大爆笑しつつ気付けば間も無く終電ですわ。
あらら入院の準備してないのに…。
伴天連の小生に由緒正しい神社のお守りまで買って来てくれて…。
ホンとにバイク仲間って有り難いです。
で結局帰宅して直ぐに眠っちゃいました。

2010/9/22
入院の朝06:00起床。
慌てて必要な物をトローリーカートに詰めます詰めます。
出張では1000泊以上してますから旅慣れてますが入院それも期間未定となると困惑。
あれこれ有ったら良さそうな品を捨て切れずに結局ボストンバッグ追加。
これが退院時に後悔を招きます。
11:00入院手続。
早速Oクラークさまに無理言っていきなり外出許可を取って郵便局で簡易書留を出して葉書と切手を買いました。
初めから大部屋に入ることが出来てラッキー!
入院経験の有る友人は「お金が有っても個室は孤独だから大部屋にしな」言います。
術前は検査検査。
先ずは入院生活に慣れなくては。

2010/9/23
Shaver壊れました。
縁起でもありませんが修理出来るものは術前何でも治して使ってました。
「生きたければ真剣に祈れ」って遠くに住む妹が珍しく温かいメールをくれて涙。
「術中死が有るなら遺書書いておけ」って結構厳しいこと言うなぁ思っていたので有り難かった。
親友のお母上が見舞いに来て下さった。
愚母老人ホームに預け、妹は遠くで子育てしつつ介護福祉の仕事してるから手術にひとりで臨むと訊いて来て下さった。
有り難いなぁ友達は。
ってかその御母上まで!
ドイツクラシックツアーの土産話を聴かせて戴く約束して願掛け。

2010/9/24
PhilipsSensoTouch3D_RQ1280CCを買って来てね、って友達にメールしたら早速家電量販店に行ってくれました。
ところが全国的に売り切れているとのことで、何箇所も廻って貰うのも流石に悪いので通販で買うことに。
病院宛て宅配便は総務課に患者本人が印鑑持って受け取りに行く必要があるとかで、その友人宅に送って見舞いがてら持って来て貰うことにしました。
って決済してしまってから判ったんですけど全世界的にリコールになってたらしく…壊れたのを騙し騙し使い続けるしかありません。
もう笑い倒すしかない。

2010/9/25
歯は命。
歯科検診です。
術前術中術後は人工呼吸器に繋いで口から気管支までチューブを入れるので歯槽膿漏が有ると雑菌まみれの唾液が気管支に入って肺炎起こして命を脅かすことも有るんだそうで、って高齢者医療は誤嚥性肺炎が命取り。
父もそれで死んだ訳で…。
挿管する際に前歯折れ易いかどうか歯のグラツキチェックして歯肉の状態記録して歯石歯垢除去して完了。
数箇所磨き残しは有るものの歯が折れたり誤嚥性肺炎起こし易いようなことはないって判ってひと安心。
LargoTouringTeamで見舞いに来てくれました。
手土産は全て書籍雑誌。
メンテナンスとか治る関係の有り、地獄からの生還もの有り。
何より嬉しかったのは、入院前夜に気合入れにパパの店まで来てくれたMちゃん。
小学校の合同音楽祭でバッハの管弦楽組曲第3番ガボットを鼓笛隊編制で演奏するってんで全曲鼻歌で一緒に歌いました。
これ最高です。
術後呼吸機能が激減するというので吸気力訓練器具を買わされたのですが、そんなのよりもずっとず~っと呼吸訓練になります。
麻酔科医師による「死んじゃうことも有ります」説明にも、術場看護師さまによる「術前術中処置について」の説明にも充分納得。

2010/9/26
遠路遥遥ビーマーが2人見舞いに来て下さいました。
最遠茨城県結城市からわざわざ。
首都圏ディーラー共催中古車フェア会場に外勤中のマネジャーから預かって来てくれた見舞いの品もさることながら、スポーツ飲料2本が術前夜にもの凄く役立ちました。
叔母がボロボロの体に鞭打って来てくれました。
自分も癌治療中、甥の体を気遣ってる場合じゃないのに有り難い。
妹の言うことをきいて遺書を書きました。
死んだら解剖実習用献体か全臓器提供。
遺骨は伊豆スカイラインから見える海に撒いてくれ、って面倒なことを頼みました。

術中うんこ垂れる訳にいかないので20時に浣腸、零時から禁食、誤嚥を防ぐため禁補水なのですが、浣腸が効き過ぎました。
30分毎にゴロゴロ。
脱水でフラフラになりながらトイレの前を離れられません。
スポーツドリンク有り難かった。
午前2時頃ようやく眠っても大丈夫かなって落ち着きましたが零時までチビチビ補水したお蔭で卒倒せずに済みました。

2010/9/27
6時起床9時出床なのですが5時に目醒めました。
前の晩に呑んだ下剤が効いて来たんです。
散々浣腸で苦しめられたのに…。
何と!未だ固形が出ます。
08:40未だ出ます!
手術より、麻酔が醒めないことよりも、手術台でうんこ垂れる方が恐怖です。
やたら可愛い病棟の看護師さまに見送られて、やたら美しい術場の看護師さまに術場まで連れて行って戴ける。
普通なら舞い上がりますが、頭の中はウンコのことばかり!不幸です。
手術台で忙しくたち働いていらっしゃる方々に「ウンコ垂れたら申し訳けございません」と挨拶して、寝かされたら直ぐ左手ALine獲る激痛、血管探られるのは痛ぇです。
そこで意識が無くなりました。

眼が醒めたのはICU
呼吸困難で窒息寸前。
呼吸急迫パニック発作です。
麻酔拮抗薬が効き過ぎたんでしょうか、切り開かれた胸が痛むことより、吸い込もうと肺を膨らましただけの空気がレスピレーターから流れて来ない気がして…。
夜勤の看護師Gさまに掴みかかって抜管をせがみますが言葉は発せないのでゼスチャーでは苦しさがなかなか伝わりません。
ボードとマーカーを持って来て貰ってどんなに苦しいか詳細に書きました。
「酸素飽和度は下がっていないから呼吸状態は良い筈」言われても苦しいものは苦しい。
夜勤担当医師の袖を掴んで抜管をせがむと「こんなにハッキリ現状表現出来るなら抜いて良いでしょ」言って戴けて、ようやく窒息の危機回避。
何なんでしょうね。
時刻を尋ねるゆとりが出て術日の23時過ぎでした。
加湿された酸素を送るマスクで呼吸していても酷い口渇です。
手は動かせるので濡れたガーゼを持って来て貰って早速自分で口の中を拭います。
まだ水を呑むのは許されていませんが、これでかなり楽になり、眠れました。

2010/9/28
ICU2日目
日勤の看護師Nさまに交代。
Gさまにご迷惑お掛けしたことお詫びして、昨晩の書き込み読んで戴いてレスピレーター機能までチェックして戴きましたが勿論特に異常なし。
エアフローより吸いたい量が多かっただけのことですかね。
緊張の恥かしい清拭着替えで右肩関節亜脱臼、って後から脱臼してたことが判ったんですけど…。
急に気分が悪くなって離床を早めるために立てて貰っていた背もたれを寝かして貰いました。
寝かすと昼食の時に倒れるかも、などと言われつつ、なりふり構っていられません。
具合悪いんじゃ無理しても仕方ないです。
2時間程横になっている内に弁の縫い目が裂けたんじゃないかとかあれこれ不安がよぎりますが、多少復活。
飲水試験もパスして食事解禁。
驚くことに昼食から全粥普通食でした。
喰えるもんなら喰ってみな、って勢いでしたから完食しました。
無理矢理食べたんじゃなくて腹減ってたから。

あれこれ検査されつつ状態が良いということで個室に移動、座位を保つ訓練始めてアッという間に夜。
あんまり痛がるんで夜勤に交代した後でNさまが肩揉みに来てくれました。
申し訳けないんでお断りしたら離床が早かったご褒美って握手してくれて…。
普通なら萌えるところですが正中切開創より遥かに痛い右肩が気になってそれどころじゃぁ…。
この夜がキツかった。
どんどん右肩が痛くなって痛みで失神しそう。
鎮痛剤を使うと異常個所が自分で判らなくなってしまうからって断ってましたが流石に断念。
とりあえず内服で。
お蔭で1時間位眠れました。

2010/9/29
ICUから回復室へ。
朝食前に立ち上がって脚踏みしたり病棟へ戻る訓練を進め、朝食を完食。
IVH(頸に刺さってる中心静脈ルート栄養とモニタ)抜いて戴いて、清拭して戴いて、ALineを新人看護師さまに抜いて戴いて血がほとばしり出て(笑)動脈って細くてもマジでピューです。
止血完了したら車椅子で病棟へ。
出来れば歩いて帰りたい位に思っていましたが、呼吸能力が術前の1/3程度に落ち込んでましたから無理は禁物。
右肩の痛みが頭から離れません。
例の親友に先ずメールを送ってツボ圧しを持って来て貰いました。
でもダメです。
麻薬系鎮痛剤を頼みましたが却下。
縦隔ドレーンチューブを抜いて気分が悪くなり…。
痛みに弱いです…。

2010/9/30
未明に右旋回体位変換したら「バキッ」と大きな音がして肩がずれました。
右肩関節亜脱臼を自己整復した訳です。
初めての脱臼が開心術後とは皮肉なもんです。
朝のX線撮影に肩骨部を追加して戴きましたが自己整復後では「脱臼してないね」で片付けられてしまいました。
尿量が半端なかったので腎機能不全は心配なくなったらしく尿道バルーンカテーテル抜いて戴きました。
抜く時に粗相するんじゃないかと心配しましたが杞憂でした。
絶えず残尿感に悩まされると訊いていたのですが挿入して下さった方が上手だったのかほぼ違和感なし。これにも感謝です。

2010/10/01
心嚢ドレーン抜いて戴きました。
結構長いチューブでしたから引っ張られて違和感がありまたまた具合が悪くなりました。
自分の胸からゴボゴボ腸蠕動のような音が聴こえて来て、あぁ心嚢には穴が開いたままなんだなぁ、心タンポナーデが心配だなぁって…。
心嚢液貯留200mLでも心不全になることがあり、2000mLでタンポナーデを起こさないこともあり、なんて循環器の教科書を読む度に不安になり。
回復室から大部屋に移されました。
全身状態良好ってことですよね。
ディーラーMCのHマネージャーが某ディーラー店舗落成式の帰りに寄って下さいました。
奇縁で同じクリニックに通うことになったとは言え、顧客のひとりを見舞うなんて如何なものかと思いましたが、誰某がスタンプラリー完走なさったとか、あれこれ訊かされる内に生きてる実感が湧いて来ます。

2010/10/02
車椅子の空気入れ。
不整脈起こした場合に備えて心臓に突き刺したままになっていた体外ペースメーカー用リード線を抜いて戴いてシャワー解禁になったけれど、抜く時の違和感でまたまた気分が悪くなって1日延期。
具合悪そうにしてたらX線撮影のために乗せて下さった車椅子のタイヤが潰れていて重かったので看護師さまに空気入れ無いのか尋ねたら気軽に入れられないらしい。
早速例の親友にパナレーサーの圧力計付き足踏みポンプ買って来て貰って9階に有る11台の車椅子全てに充填。
歩くのは未だ難しいけれど足踏みならリハビリに最適かなと。
心電図モニター借りて血圧と心拍数と酸素飽和度コントロールしながら。
機種によってというかタイヤに依って適正空気圧が300~450kPaと幅広い。
450モデルに300しか入れなければ重くて使い辛いことこの上ない筈。
バルブコアが壊れていて使えない1台は庶務課に任せるとして、全て適性空気圧に。
何で患者が空気入れてるの?って通りがかりの看護師さま皆々に訊かれたけれど…ダート走る時に10kPa単位でグリップ感を微調整している身としてはエアの抜けてる車椅子なんて許せなかったんです(笑

2010/10/03
勤め先の同僚ホーネット900乗りが千葉から、Ducati696乗りの妹が静岡から来てくれました。
フラフラになりながら術後初めてのシャワーを浴びて、そろそろ歩行訓練しようと思ってた処に2組の見舞い。
談話室で4時間近く話して、それはそれでリハビリになりました。

2010/10/04
初歩き2時間
移動式モニターお借りして血圧・心拍数・酸素飽和度コントロールしながら病棟廊下を1時間2本。
執刀医師が仰る弁縫縮部位が壊れてしまわないような生活、ってのを守るためには1kmphがせいぜい。5分で歩けるところ30分掛かるってこと?3箇月間のリハビリが不安になりましたが、術後1度も歩いたことないのに、いきなり1時間立ちっ放し2本出来ただけでも奇跡に近い。
呼吸機能訓練にMP3聴きながらメロディー口ずさんでいたのが劇的に効きましたわ。

2010/10/05
脳卒中の恐怖。
午前6時起床して自販機に野菜ジュースを買いに行って寛いでいるといきなりモノが2重に見えて愕然。今まで順調過ぎました。
教科書的一過性脳虚血発作です。
壁のナースコールは押せないし悲鳴も上げられない。
幸い脚には来ていなかったので壁伝いにナースステーションまで、辿り着いた頃に症状消失。
TIAが来たって騒いでも歩けたんだからTIAじゃない、なんて頓珍漢なこと言う看護師の顔が見えなくて幸い。
教授回診で訴えたら神経内科専門医の往診を受けられることに。
言ってみるもんです。
心エコー検査では50%僧帽弁逆流してたのが完全閉鎖。
有り難いことです。
叔母と叔父が見舞いに来てくれました。
叔母は翌日手術を受けるというのに…。
担当看護師さまが気遣って下さって昼のバイタルとか談話室で。
神経内科専門医師も談話室を診察室にして下さり…。
構音障害や顔貌の変化など脳卒中の不安は有るけれど至れり尽くせりです。

2010/10/06
朝イチでX線撮影して来なさいって勧められて教授回診すっぽかし。
荷物を纏めて会計済まし、3kg以上持ち上げちゃぁいけませんよ、言われてるのに20kg超える荷物を2Wheelsのトローリーカートで運ぶ。
無謀です。
宅配便頼めば良かった。
タクシーの積み下ろしはドライバーに頼みましたが、タクシー乗り場までの僅かなスロープを引いて移動するのが難儀。
胸の骨がギシギシ言います。
ズレたらどうしよ!って感じです。
往路90分を復路180分掛けて家に辿り着いたらヘトヘト。
玄関前に停めてあるGS-Aがでっかく見えます。
また動かせるようになるんだろうか、グリップを握って涙がこぼれました。
生きて帰れて良かった、早く退院出来たのは嬉しいけど、こんな体で家事出来るんだろうかと不安に感じつつベッドに倒れこみました。
ボストンバッグのファスナー閉めるだけで上半身に激痛が走るし、退院が最も重労働でした。